2-1.日本史に見る弔いのあゆみ

「葬儀や死について、子どもにどう伝えればよいのだろう」と迷うことはありませんか。
本記事では、縄文時代の埋葬から仏教伝来と火葬、寺院との関係、現代の家族葬まで、日本の弔いの歴史をたどります。時代とともに変わった「形」と、その背景を知ることで、死を怖いものとして遠ざけるのではなく、命の大切さや人への思いやり、文化を受け継ぐ意味を考えられます。親子で「どう生きるか」を考える第一歩として、一緒に学んでみましょう。

If…
お葬式から帰る途中、子どもが父親に聞きました。
「どうして亡くなった人のために、みんなで集まるの?」
父親は少し考えてから答えました。
「亡くなった人に『ありがとう』を伝えるためでもあるし、残された人たちが悲しみを分かち合うためでもあるんだよ。でも、お葬式の形は昔から同じだったわけじゃないんだ」
「じゃあ、昔の人は違うことをしていたの?」
「そうだよ。お墓の形も、火葬の方法も、祈り方も変わってきた。でもね、形が変わっても考えてほしいことがある。**人の命には終わりがあること。だからこそ、生きている人を大切にすること。そして、亡くなった人を粗末にせず、その人が生きたことを次の世代へ伝えていくこと。**それが、昔の人から私たちへ受け継がれてきた『弔う』という文化を考えるうえで大切なんだ」
子どもはしばらく黙ったあと、こう言いました。
「じゃあ、お葬式は死んだ人のためだけじゃないんだね」
父親はうなずきました。
「そうかもしれないね。亡くなった人を大切に思うことから、今、生きている人をどう大切にするかを考える時間にもなるんじゃないかな」

あなたなら、この問いにどう答えますか?

この章で扱う主なポイントは以下のとおりです。
● 縄文・弥生時代に見られる埋葬と弔い
● 古墳の造営と仏教伝来による死生観の変化
● 火葬の始まりと日本社会への広がり
● 中世の仏教と戒名・位牌・葬送儀礼
● 江戸時代の寺請制度と寺院による葬送
● 明治以降の火葬制度と近代化
● 戦後から現代までの葬儀の変化と多様化

学習目標

● 日本の弔いが時代とともにどのように変化したのかを説明できる
● 埋葬・火葬・古墳・戒名などが広がった背景を理解する
● 葬儀と宗教・社会・暮らしとの関係を考える
● 葬儀の「形」と、人を弔う「心」の違いについて考える
● 死や葬儀について家族や身近な人と話し、自分なりの考えを持つ

日本の弔い

日本の弔いの歴史を理解する第一歩は、現在の葬儀を基準にして昔を見ないことです。
縄文時代には、亡くなった人の手足を折り曲げて埋葬する「屈葬」が見られました。弥生文化期になると甕棺墓や支石墓など、地域性をもつさまざまな埋葬形式が現れます。さらに3〜6世紀には巨大な古墳が各地に築かれ、権力者の死や社会的地位が墓という形でも表されるようになりました。
ここで注目したいのは、「昔にも葬儀があった」と単純に現代と結びつけないことです。
同じ日本列島でも、時代や地域、立場によって死者との向き合い方は異なっていました。つまり、弔いはその社会に生きる人々の価値観を映す文化でもあると考えられます。
次の大きな転換点となったのが仏教伝来です。資料では伝来年について538年説と552年説が示され、仏教が日本人の死生観に大きな影響を与えたと説明されています。
700年には僧・道昭について日本で最初とされる火葬の記録があり、703年には持統天皇が歴代天皇として初めて火葬されました。ただし、この段階で火葬が日本社会全体の標準になったわけではありません。資料でも当初は限られた身分の弔いであり、庶民にはさまざまな埋葬方法があったと整理されています。
ここから、現在では身近な火葬も、長い時間をかけて日本社会に定着してきたことが分かります。

では、なぜ現在の日本では、寺院や僧侶と葬儀を結びつけて考える人が多いのでしょうか。
その背景を知る手がかりが中世から近世にあります。
中世には、法然、親鸞、道元、日蓮、一遍らに関係する仏教諸宗派が展開しました。室町時代になると、禅宗の影響によって位牌を用いる習慣や戒名を授ける習わしが、武家から庶民へ広がったと資料には記されています。
さらに江戸時代には寺請制度が広がります。寺院が人々の戸籍管理と葬儀・埋葬を担う体制が形成され、今日まで続く「菩提寺」「檀家」といった仕組みにつながっていきました。
ここで見えてくるのは、葬儀は宗教だけで変化したわけではないということです。
政治や社会制度、人々が暮らす共同体のあり方も、弔いの形に影響を与えてきました。
この視点を持つと、近代以降の変化も理解しやすくなります。
1873年には火葬禁止令が出されましたが、1875年には撤廃され、火葬に関する技術的な指針が示されます。資料では、この流れを近代的な火葬制度が整備されていく時代として位置づけています。
戦後にはさらに、葬儀を取り巻く社会環境そのものが変化しました。互助会の誕生、葬祭業界の組織化、火葬場の全国整備などが進み、1980年代には大規模葬儀が主流となります。その後は簡素化へ向かい、1991年頃以降には「家族葬」という言葉も使われ始めたと資料では整理されています。
2020年以降には直葬や一日葬が拡大し、現在では樹木葬や海洋散骨など弔いの選択肢も広がっています。
古代から現代までを一本の線で見ると、ある特徴が浮かびます。
変わり続けているのは「弔いの方法」です。
そのため、歴史を学ぶときに「昔の方法だから正しい」「新しい方法だから間違っている」と単純に判断することはできません。
むしろ考えたいのは、社会や生活が変化するなかで、私たちは死者をどう尊重し、悲しむ人とどう支え合い、何を次の世代へ伝えていくのかという問題です。
異なる時代の弔いを知ることは、異なる宗教や地域、家庭の価値観を尊重する練習にもなります。

弔いの歴史を自分の学びに変える方法として、**「家族の弔いの記憶を聞く」**ことを試してみてください。
親や祖父母などに、「子どものころのお葬式はどこで行われていた?」「今のお葬式と何が違った?」と尋ね、できれば「なぜ変わったと思う?」まで話してみます。
この方法が大切なのは、教科書の歴史と自分の家族の経験を結びつけられるからです。葬儀会館が身近ではなかった時代、自宅や地域で人を送った経験など、年表だけでは見えない生活の変化に気づく可能性があります。
その結果、「昔の葬儀を覚える」だけだった学習が、自分につながる歴史を理解する学習へ変わります。また、親から子へ経験を語ることは、地域や家族の記憶を次の世代へ渡す文化的継承にもつながるでしょう。
学校や地域では、寺院、墓地、郷土資料などを手がかりに「この地域では人をどのように送ってきたのか」を調べる方法もあります。
その理由は、全国的な歴史だけでは地域ごとの違いが見えにくいからです。自分の地域と別の地域を比べれば、弔いには一つの「普通」しかないわけではないことに気づけます。
こうした学習を重ねることで、異なる宗教や文化、家族の考え方をすぐに否定せず、「なぜ違うのだろう」と背景を考える姿勢を育てることができます。
そして最後は、歴史を現在の自分へ戻してみましょう。
「人の命には限りがあると知った自分は、今日、周りの人とどう接するのか」と考えます。
歴史を知識だけで終わらせず、家族に感謝を伝える、悲しんでいる友達の話を聞く、異なる価値観を尊重するといった日常の行動へ結びつけることで、死について学ぶことが、生き方について学ぶことへ変わっていきます。

葬儀塾 研修資料

日本史に見る弔いのあゆみ主な日本史年表|葬送史 対照版

もとの「主な日本史年表」に、埋葬・火葬・戒名・葬送儀礼など弔いに関わる出来事を書き加え、すべての項目に短い説明をつけました。
金色でハイライトした行が葬送に関わる項目です。

一般史の出来事
葬送・弔いに関わる出来事

01
古代
B.C.8000年頃〜1016年
+

狩猟採集の埋葬習俗から、仏教伝来を経て火葬という新しい弔いの技術が持ち込まれるまでの時代。

B.C.8000年頃まで
先土器時代打製石器を使い、狩猟・採集で暮らした時代
縄文時代
葬送史屈葬の風習死者の手足を折り曲げて埋葬し、霊が生者に災いをなさないよう封じたと考えられている
B.C.400年頃まで
縄文文化土器や貝塚に見られる、採集を中心とした文化
B.C.400年頃
水稲耕作始まる(弥生文化)稲作が広がり、集落や身分の差が生まれ始める
弥生文化期
葬送史甕棺墓・支石墓が広がる地域色をもつさまざまな埋葬形式が各地に生まれる
239年
女王卑弥呼、魏に遣使邪馬台国の女王が中国・魏に使者を送り、金印を授かる
3〜6世紀
葬送史古墳の造営、埴輪の副葬前方後円墳など巨大な墓が各地に築かれ、権力者の弔いが可視化される
538年
仏教伝来百済から仏教が伝わり、日本人の死生観に大きな影響を与える。伝来年は538年説(元興寺縁起など)と552年説(日本書紀)の二説がある
604年
憲法十七条の制定聖徳太子が定めたとされる、役人の心得を示す規範
645年
大化改新(646年薄葬令)中央集権化を進める改革。薄葬令で墳墓の規模も制限される
700年
葬送史僧・道昭、日本初の火葬『続日本紀』に記される、日本で最初の火葬の記録
703年
葬送史持統天皇、火葬される歴代天皇として初めての火葬。以後、天皇の葬法は火葬と土葬のあいだで揺れ動く
701年
大宝律令律令国家の基本法典が完成し、国のしくみが整う
710年
平城京に遷都唐の都・長安にならった本格的な都城が誕生
745年
行基、大僧正になる民衆への布教と社会事業で知られた僧が最高位の僧官に就く
794年
平安京に遷都以後1000年余り、日本の都となる京都に都が移る
806年
最澄、天台宗を開く比叡山延暦寺を拠点に、日本仏教の一大源流をつくる
809年頃
空海、真言宗を開く高野山を拠点に密教を広め、後世に大きな影響を残す。開宗の年は806年(唐からの帰国)・816年(高野山開創の勅許)など資料によって表記が異なる
平安中期
葬送史「ケガレ」観念の広がり鳥辺野・化野などが遺体を送る風葬の地となる
938年
空也、この頃民衆に念仏を広める「南無阿弥陀仏」を唱える念仏を庶民に広めた僧
986年
葬送史源信ら「二十五三昧会」結成念仏を唱えながら看取り、共同で埋葬する互助的な信仰集団
1016年
藤原道長、摂政になる摂関政治の全盛期を築いた人物
葬儀塾メモ

火葬は仏教伝来とともに入ってきたが、当初は道昭や持統天皇のようにごく限られた身分の弔いだった。庶民の埋葬は屈葬・風葬・古墳など地域や身分によってさまざまで、「弔いの形はひとつではない」ことを示す時代。

02
中世
1051年〜1603年
+

鎌倉新仏教の各宗派が相次いで開かれ、宗派ごとの葬儀作法・戒名の考え方が確立していく時代。

1051年
前九年合戦(〜62)東北で起きた、源氏が関わった大規模な戦乱
1083年
後三年合戦(〜87)前九年合戦に続く東北の戦乱。源氏の勢力拡大につながる
1156年
保元の乱皇室・摂関家の内紛が武力衝突に発展した戦い
1159年
平治の乱保元の乱に続く政変。平氏政権誕生のきっかけとなる
1167年
平清盛、太政大臣になる武士として初めて朝廷の最高位に就く
1175年
葬送史法然、浄土宗を開く念仏往生の教えが後の浄土系葬儀の基礎になる
1191年
栄西、宋より臨済禅を伝える禅の一派・臨済宗が日本に伝わる
1192年
鎌倉幕府の成立源頼朝が開いた、日本初の本格的な武家政権
1224年
葬送史親鸞、『教行信証』を著す浄土真宗の教義を体系化した書。庶民への浄土信仰の広がりを後押しする
1244年
葬送史道元、永平寺を開く曹洞宗の拠点。引導・法語など禅宗式の葬儀作法が整えられていく
1253年
葬送史日蓮、日蓮宗を開く法華経を重んじる教えを説き、独自の葬送作法を確立していく
1274年
葬送史一遍、時宗を開く熊野権現の神勅を機に、踊り念仏で知られる宗派を開く。全国を遊行しながら教えを広める
室町時代
葬送史位牌・戒名の浸透禅宗の影響で、位牌を用いる習慣と戒名を授ける習わしが武家から庶民へ広がる
1333年
鎌倉幕府滅亡後醍醐天皇らの倒幕運動により鎌倉幕府が滅びる
1334年
建武の新政後醍醐天皇による天皇親政の復活。まもなく失敗に終わる
1338年
室町幕府の成立足利尊氏が開いた新たな武家政権
1392年
南北朝の合一分裂していた朝廷が一つにまとまる
1467年
応仁の乱(〜77)京都を主戦場とした大乱。以後、戦国時代へと突入する
1543年
鉄砲伝来ポルトガル人により種子島に鉄砲がもたらされる
1549年
キリスト教伝来フランシスコ・ザビエルが来日し布教を始める
1573年
室町幕府滅亡織田信長により室町幕府が終わりを迎える
1582年
本能寺の変明智光秀の謀反により織田信長が自害する
1600年
関ケ原の合戦天下分け目の戦い。徳川家康が勝利を収める
1603年
江戸幕府の成立徳川家康が開き、以後260年余り続く政権
葬儀塾メモ

浄土宗・浄土真宗・曹洞宗・日蓮宗・時宗——現在の葬儀式次第の土台となる各宗派が、この約100年のあいだにほぼ出そろった。宗派ごとに読経・引導・戒名の考え方が異なるのは、この時代の成立事情に由来する。

03
近世
1612年〜1867年
+

寺請制度によって、寺院が全国民の葬儀・埋葬を担う体制が確立する — 現代の葬祭業に直結する時代。

1612年
キリシタン禁教令江戸幕府がキリスト教の信仰を全国的に禁止する
1637年
天草・島原の乱キリシタン弾圧などへの反発から起きた大規模な一揆
1654年
黄檗宗祖隠元、来日中国の僧・隠元が来日し、新しい禅の一派を伝える
1665年頃
葬送史寺請制度が広がる国民全員がいずれかの寺院の檀家となり、寺院が戸籍管理と葬儀・埋葬を担う体制が広がる。制度として全国的に固定化したのは1671年(寛文11年)の宗門人別改帳の制度化とされる。今日の「菩提寺」「檀家」制度と葬祭業の原型がここに生まれる
江戸中期
葬送史「戒名料」の慣行が定着寺院への布施として戒名料を納める習わしが広がっていく
1783年
天明の飢饉冷害や浅間山噴火が重なり、多くの餓死者を出した大飢饉
1853年
ペリー来航米国の艦隊が浦賀に来航し、開国を迫る
1867年
大政奉還徳川慶喜が政権を朝廷に返上し、江戸幕府が終わる
葬儀塾メモ

寺請制度は本来キリシタン統制のための行政制度だったが、結果として「寺院が葬儀を執り行う」という日本独自の慣習を約250年にわたって固定化した。今日も残る菩提寺・檀家・戒名料といった仕組みの直接のルーツはここにある。

04
近代
1868年〜1945年
+

神仏分離・廃仏毀釈の混乱の中で火葬が一時禁じられ、その反省から近代的な火葬制度が整えられていく時代。

1868(明治1)年
戊辰戦争、明治維新、排仏毀釈旧幕府軍と新政府軍の内戦を経て、新しい国づくりが始まる
1873(明治6)年
キリシタン禁制の高札撤廃キリスト教禁止の立て札が撤去され、事実上の信仰自由化が進む
1873(明治6)年
葬送史火葬禁止令神道興隆・廃仏毀釈の風潮を背景にした布告。わずか2年で撤回されることになる
1875(明治8)年
葬送史火葬禁止令の撤廃火葬に関する技術的な指針が通達され、火葬炉の技術改良が積み重ねられていく
1877(明治10)年
西南戦争西郷隆盛を中心とした、最後にして最大の士族反乱
1889(明治22)年
大日本帝国憲法発布アジアで最初の近代的な成文憲法が公布される
1894(明治27)年
日清戦争(〜95)朝鮮半島の支配をめぐる日本と清国の戦争
1904(明治37)年
日露戦争(〜05)満州・朝鮮をめぐる日本とロシアの戦争
1910(明治43)年
大逆事件、韓国併合社会主義者への弾圧事件と、日本による韓国の植民地化
1914(大正3)年
第一次世界大戦(〜18)日本も参戦した、史上初の世界規模の総力戦
1923(大正12)年
関東大震災首都圏を襲った大地震。10万人以上が犠牲となる
1927(昭和2)年
金融恐慌銀行の取り付け騒ぎが相次いだ経済危機
1931(昭和6)年
満州事変、昭和恐慌広まる関東軍による軍事行動をきっかけに満州国建国へ向かう
1937(昭和12)年
日中戦争開始盧溝橋事件をきっかけに、日本と中国の全面戦争が始まる
1941(昭和16)年
太平洋戦争開始真珠湾攻撃により、日本が米英と開戦する
1945(昭和20)年
原爆投下、敗戦広島・長崎への原爆投下を経て、日本がポツダム宣言を受諾。以後、新宗教が続々と誕生する
葬儀塾メモ

火葬禁止令の失敗は、行政の理念だけでは弔いの慣習を変えられないことを示した。一方で明治8年の技術指針は、のちの火葬インフラ整備の第一歩となる。戦後に新宗教が相次いで生まれる土壌も、この混乱期に用意された。

05
現代
1950年〜2026年
+

互助会の誕生から火葬場の全国普及、バブル期の大規模葬、そして家族葬・簡素化へ。日本の葬祭業が最も大きく姿を変えた時代。

1948年
葬送史戦後初の冠婚葬祭互助会が誕生会員が毎月一定額を積み立て、結婚式や葬儀に備える相互扶助の仕組みが全国に広がり始める
1950(昭和25)年
朝鮮戦争朝鮮半島の南北分断を決定づけた戦争。日本には特需景気をもたらす
1951(昭和26)年
サンフランシスコ講和条約調印日本が独立を回復し、国際社会に復帰する
1956年
葬送史全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連)発足葬祭業界の組織化が進み、業界団体としての活動が本格化する
1960(昭和35)年
日米新安保条約発効、高度経済成長安保をめぐる対立の一方、経済は急成長期に入る
1955〜73年頃
葬送史火葬場の全国整備、火葬率が急上昇それまで各地に伝承されていた土葬や野焼き(ノヤキ)による弔いが姿を消していく
1964(昭和39)年
東京オリンピックアジア初の開催となった夏季五輪。新幹線や高速道路も整備される
1965(昭和40)年
米国、ベトナム北爆開始ベトナム戦争が本格化するきっかけとなった軍事行動
1972(昭和47)年
沖縄返還、日中国交回復戦後の懸案だった沖縄の日本復帰と、中国との国交正常化が実現
1980年代
葬送史大規模葬儀が主流に右肩上がりの経済成長を背景に、参列者数を競う葬儀や葬祭会館の建設が相次ぐ
1989(昭和64)年
昭和天皇死去昭和から平成へと元号が改まる
1989(平成1)年
ベルリンの壁崩壊東西冷戦の終結を象徴する出来事
1991(平成3)年頃
葬送史バブル景気崩壊、簡素化の始まり株価・地価の下落を機に景気が後退し、葬儀は徐々に簡素化へ向かう。この時期以降「家族葬」という言葉が使われ始める
1995(平成7)年
葬送史阪神・淡路大震災火葬場の処理能力を大きく超える犠牲者数に直面し、広域火葬・合同葬の必要性が課題として浮かび上がる
2011(平成23)年
葬送史東日本大震災火葬が追いつかず、厚生労働省が特例火葬許可を通達し土葬も容認。宮城県内では約2,100体が数年後の火葬を前提に仮埋葬された
2001(平成13)年
9.11米国同時多発テロ、アフガン戦争米国同時多発テロを機に、対テロ戦争の時代が始まる
2003(平成15)年
米英・イラク戦争大量破壊兵器の存在を理由に米英がイラクを攻撃
2020年〜
葬送史コロナ禍で直葬・一日葬が拡大参列者を極力抑えた小規模な弔いが急速に広がる
現在(〜2026年)
葬送史弔いの多様化が進む樹木葬・海洋散骨など弔いの形が広がる一方、日本の火葬率は99.9%と世界でも突出した水準に達している
葬儀塾メモ

互助会(1948)から全葬連(1956)、火葬場整備(高度成長期)、会館拡大(バブル期)、そして簡素化・家族葬・直葬へ——わずか70年ほどのあいだに葬祭業のビジネスモデルは何度も塗り替えられてきた。この変化のスピードこそ、いま葬祭業各社が向き合っている経営環境そのものである。

クイズ

Q. 日本の弔いの歴史を古代から現代まで学んだとき、本文全体から読み取れる考えとして最も適切なものはどれでしょうか。

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日本の弔いの歴史を古代から現代まで学んだとき、本文全体から読み取れる考えとして最も適切なものはどれでしょうか。

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行動チェックリスト

□ 週末に家族と一緒に墓地や納骨堂を訪れ、花を供えてみる
□ 墓参りの後に「おじいちゃんはどんな人だった?」と子どもに話をする
□ 家族の集まりで「命の大切さ」について一言ずつシェアする

日本の弔いの歴史をたどる

日本の弔いの歴史をたどると、「昔から変わらない葬儀」というものがあったわけではないことが見えてきます。
縄文・弥生時代のさまざまな埋葬、古墳、仏教伝来と火葬、中世の仏教文化、江戸時代の寺請制度、近代的な火葬制度、そして現代の家族葬や直葬など、日本人は社会や暮らしの変化に合わせながら死者を送る方法を変えてきました。
だからこそ、歴史を学んだ私たちが考えたいのは、「昔と同じ葬儀を続けるべきか」ということだけではありません。
弔いの形が変化しても、亡くなった人を尊重すること、悲しむ人に寄り添うこと、命には限りがあると知ること、そして受け取った記憶や文化を次の世代へ伝えることには、現代の私たちにも考える価値があります。
親から子へ伝えたいのも、葬儀の作法だけではないはずです。
「人はいつか死ぬ。だからこそ、今一緒に生きている人を大切にする」
その意味を親子で考え、家族や友達への接し方につなげていく。そこに、死生観・倫理観・道徳観を学ぶ一つの入口があります。
そして、昔の弔いを知り、現在の弔いを考え、次の世代に何を残すのかを自分の言葉で語れるようになることは、文化を受け継ぐことにもつながります。
死を学ぶことは、死だけを学ぶことではありません。
限りある命をどう生き、人とどう関わり、何を次の世代へ手渡すのかを考えることです。
それが、「人類と葬儀のはじまり」から私たちが学ぶ、もう一つの大切な意味です。

FAQ

Q1.昔の日本にも、現在と同じようなお葬式があったのですか?
現在と同じ形ではありません。縄文時代の屈葬、弥生文化期の甕棺墓や支石墓、古墳など、時代や地域によって死者を葬る方法は異なっていました。
大切なのは、「葬儀は昔から同じだった」と考えるのではなく、それぞれの時代の人々が死と向き合う方法を築いてきたと理解することです。
Q2.日本では、いつから火葬が行われるようになったのですか?
資料では、700年の僧・道昭について日本で最初とされる火葬の記録があり、703年には持統天皇が歴代天皇として初めて火葬されたとされています。
ただし、火葬が始まってすぐにすべての人へ広がったわけではなく、庶民にはさまざまな葬法が残っていました。
Q3.なぜ日本の葬儀は、お寺や仏教と深く結びついているのですか?
仏教伝来だけでなく、中世における仏教諸宗派の展開や、江戸時代の寺請制度など、長い歴史が関係しています。特に寺請制度が広がると、寺院が人々の登録や葬儀・埋葬を担うようになり、現在にもつながる寺院と葬送の関係が形成されました。
Q4.昔と現在で葬儀の形が違うなら、何を受け継いでいけばよいのでしょうか?
歴史を学ぶ目的は、昔の方法をそのまま再現することではありません。時代によって形が変わってきたことを理解したうえで、亡くなった人を尊重すること、悲しむ人に寄り添うこと、命について考えることなど、自分たちは何を大切にして次の世代へ伝えるのかを考えることが重要です。
Q5.子どもが葬儀や死について学ぶことには、どんな意味がありますか?
死について学ぶことは、「怖いもの」を覚えるためではありません。命には限りがあることを知り、自分や他者の命、人とのつながり、異なる文化や価値観について考える機会になります。弔いの歴史を入り口として、**「死を知ることから、どう生きるかを考える」**ことが、この学習の大切な目的です。

用語集

弔い(とむらい) 亡くなった人を思い、その死を悼(いた)み、送り、残された人たちが死と向き合う営みを指します。方法は時代や地域によって異なり、日本の歴史の中でもさまざまな形が見られます。
葬送(そうそう) 亡くなった人を送り、埋葬や火葬などを行う一連の営みを表す言葉です。葬儀だけでなく、死者を送り出すための幅広い行為や文化を考える際に使われます。
屈葬(くっそう) 亡くなった人の手足を折り曲げた姿勢で埋葬する方法です。本文では、縄文時代に見られた埋葬方法として紹介しています。
甕棺墓(かめかんぼ) 甕(かめ)などの大型の土器を棺(ひつぎ)として使用する墓です。本文では、弥生文化期に見られる地域性を持った埋葬形式の一つとして登場します。
支石墓(しせきぼ) 大きな石を支えるように配置してつくられた墓の形式です。弥生文化期に見られる墓の一つで、地域によって異なる埋葬文化が存在したことを知る手がかりになります。
古墳(こふん) 主に3世紀から6世紀ごろに多く築かれた、有力者などを葬るための大規模な墓です。前方後円墳などさまざまな形があり、本文では死者の弔いと当時の社会的な立場との関係を考える題材として扱っています。
火葬(かそう) 亡くなった人の遺体を火で焼き、遺骨にする葬法です。資料では700年の僧・道昭が日本で最初とされる火葬の記録として紹介され、703年には持統天皇が歴代天皇として初めて火葬されたとされています。
戒名(かいみょう) 仏教において授けられる名前です。本文では、室町時代に位牌を用いる習慣とともに、戒名を授ける習わしが武家から庶民へ広がった歴史を取り上げています。
位牌(いはい) 亡くなった人の戒名などを記し、供養の対象とするために用いられるものです。日本の仏教葬送文化を理解するうえで重要な言葉の一つです。
寺請制度(てらうけせいど) 江戸時代に広がった、人々と寺院を結びつけた制度です。寺院が人々の登録だけでなく葬儀や埋葬にも関わるようになり、現在にもつながる菩提寺・檀家の関係を考えるうえで重要です。
檀家(だんか) 特定の寺院と継続的な関係を持ち、その寺院を支える家や家庭を指します。江戸時代の寺請制度などを背景として、寺院と地域の人々との関係が深まりました。
菩提寺(ぼだいじ) 先祖代々の墓や供養、葬儀などを通じて、家と継続的な関係を持つ寺院を指す言葉です。本文では、江戸時代に形成された寺院と人々との関係を現代につなげて考えるための重要語として登場します。
死生観(しせいかん) 「生きること」と「死ぬこと」をどのように捉えるのかという考え方です。宗教や文化、家族、経験などによって異なり、一つだけの正解があるものではありません。この章では、死を知ることから、自分はどう生きるのかを考える視点として扱っています。
文化的継承(ぶんかてきけいしょう) 地域や家族、社会が受け継いできた知識・習慣・価値観などを次の世代へ伝えていくことです。この章では、葬儀の形式だけを残すのではなく、弔いに込められてきた意味について親子で考え、次の世代へ伝えることも文化的継承として捉えています。

ネクストアクション

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【2-2.人類と葬儀のはじまり】

順をおって進めることで「葬儀」についてしっかりと学べます。

関連動画(YouTube【葬儀塾ch】)
「葬儀」を動画で学べます。親子で視聴し、感想を話し合うのがおすすめです。